カテゴリー:5日目(3/18)レポート

Report on the 5th Day: Information Volunteers at WCDRR

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“Information Volunteers @ Sendai” within the Kahoku Shinpo Newspaper Agency Online Community is a blog reporting on current events going on in Sendai. A wide variety of DRR-themed conferences, forums and events are held during the period of WCDRR. People from all around the world and country are seen on the streets on Sendai, as the world is connected as one through the theme of DRR.

 In the blog, there will be detailed information on what kind of events and their contents are going on at the Sendai City Civil Activity Support Center, as part of the thematic pavilion “Civil Society Collaboration and DRR”.

We will also be showcasing voices of the participants of events taking place in the various public forum venues open to public in Sendai city. There will also be a column named “From WCDRR with Love” showing people holding sketchbooks with their personal messages.

 

 This blog not only reports on the events happening in Sendai but more importantly the level of excitement and hype buzzing in the city. There are approximately 30 writers, mostly students, writing on this blog.
 The student members of the blog consist of past interns of Kahoku Shinpo Newspaper Agency’s Journalist Internship. It is mainly made up of students who worked in the disaster stricken areas disseminating information after the disaster. The interns learnt interview and article writing skills from reporters from Kahoku Shinpo Newspaper Agency.
 The students are not only from universities in Miyagi prefecture but also from Kanto and Kansai regions in japan. Many of them are aspiring newspaper journalists and magazine writers.

 Takumi Wakai, 3rd Year Student at Meiji University, who worked as information volunteer, was one of those aspiring to become a newspaper journalist. He hopes to accumulate experience and learn journalism skills from this event.
In the article “Disaster Recovery by 3 Survivor Storytellers at the Global Conference on DRR for Civil Society” written by Wakai, the importance of survivor storytelling, as well as the motivation of the storytellers, is emphasized, in order to pass the message on to the readers.

 

▲情報ボランティアは、カメラマンも務める。若い感性が捕らえた写真の中には、ハッとさせられるものもある

▲The information volunteers also work as cameramen, snapping pictures that capture the scenes from a different perspective.

▲人懐っこい笑顔で取材を受ける若井さん。若井さんの記事は、笑顔からは想像できないほど切れ味がよい。

▲Wakai with a friendly and amicable smile, who writes in style and eloquence.

 

The WCDRR was reported in various forms of mass media. The blog reports the conference in a vastly different perspective with its group of young talented writers.

Reporter:
Citizen Writer Wakako Yamada

 

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【5日目・レポート】防災強化に市民の参画不可欠

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 5日間に渡った国連防災世界会議を総括する総合フォーラム「復興と防災を支える市民のちから」が18日、仙台市青葉区の東北大川内萩ホールであった。仙台国際センターで行われた本体会議と市内外の各所で展開されたパブリックフォーラムの議論の内容を全体で共有するのが狙い。東日本大震災の被災地である仙台市で会議が開催された意義と成果を振り返りながら、防災の視点を今後の行政や市民生活にどう生かしていくかが語り合われた。

 

 3部構成のフォーラムのうち、第2部は「復興と防災を支える市民のちから」と題したパネルディスカッション。「女性と防災」「市民協働と防災」の二つのテーマ館運営に携わったパネリスト4人が登壇した。

18フォーラム1

 

 NPO法人「イコールネット仙台」代表理事の宗片恵美子(むなかた・えみこ)さんは、「女性と防災」のテーマ館で、従来取り組んできた男女共同参画の重要性を防災の視点から発信した。「被災者であると同時に支援者にもなった女性の力は大きい。もっと女性がものを言える環境が必要」と訴えた。

 せんだい男女参画財団理事長の木須八重子(きす・やえこ)さんは、同テーマ館で開かれた5つのシンポジウム登壇者34人のうち、17人が被災した女性だったことを紹介。「生の言葉」を伝える役割を果たせたことを強調した。

 みやぎ連携復興センターの石塚直樹(いしづか・なおき)さんは、「市民協働と防災」のテーマ館運営に携わった。「出展者と市民の間で成功事例だけではなく、失敗例も共有できた。学びの場として近い距離で対話できたのがよかった」と総括した。

 2015防災世界会議日本CSOネットワークの合田茂広(ごうだ・しげひろ)さんは、市民主導の10のセッションを展開。「パブリックフォーラムの参加者は4万人を見込んだが、15万人を超える勢いだ」と成果を力説した。

           ◆     ◆     ◆

「語り継ぐことは、日本のお家芸」という言葉が印象に残った。
思い出すのもつらい震災の記憶も、語り継ぎ、共有することで、
次代の人々に「備え」の大切さを訴える。

5日間の会議では多くの体験が語られた。
メッセージを受け取った一人ひとりが、社会の担い手として
次の行動を起こすことが求められていると感じた。

(記事担当)
山形大2年 三浦紗樹(みうら・さき)
山形大2年 鈴木里緒(すずき・りお)
茨城大3年 後藤結有(ごとう・ゆう)

 

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【5日目・レポート】防災会議から愛を込めて 番外編/ Report on the 5th Day: With Love From WCDRR

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5日間の国連防災会議も、今日18日で終わりを迎えます。

最終日の今日は「防災会議から愛を込めて」番外編として、
「2011年3月11日、どこで何をしていたか」
「2015年3月11日、どこで何をしていたか」を聞きました。

 

◆   ◆   ◆  

まずは、東京エレクトロンホール宮城から。
自動車部品販売会社の社長、マルコ・スタチオーリ(Marco Staccioli)さん。
イタリア出身で、日本に来てから26年。とても流暢に日本語を操ります。

 

【イタリア出身のマルコ・スタチオーリさん(57)。現在は、自動車修理の技術を次代に伝えるアカデミーも運営しています】

【イタリア出身のマルコ・スタチオーリさん(57)。現在は、自動車修理の技術を次代に伝えるアカデミーも運営しています】

 

2011年3月11日、「全部見たくなかったし、信じたくなかった」とマルコさん。
午後2時46分。「普通とは違う」。
東京・新橋で商談をしていたマルコさんは、強い揺れの中で直感しました。

東北で働く従業員の安否確認など、業務に追われたマルコさんが
自宅に戻ったのは、夜になってから。
テレビを付けると、そこには目を覆いたくなるような惨状が広がっていました。

「映画をみているようだった」。マルコさんは目を伏せます。

2015年3月11日、マルコさんは確かな日本の力を感じていました。
震災後に東北入り。発起人の一人として
「Italians For Tohoku(イタリアンズ・フォー・トウホク)」を立ち上げ、
被災地支援を続けてきました。

そこで目にしたのは、復興へ向かう東北の力強さ。
マルコさんも、少しずつ震災に向き合えるようになったそうです。

「同じ悲しみを繰り返さないために、子どもたちに伝えていかないと」。
力強く語りました。

◆  ◆  ◆

次は、せんだいメディアテークから。

1階の展示フロアで、「ふくしまからはじめよう。」と
書かれたパンフレットを配るのは、佐藤千紘(さとう・ちひろ)さん。
福島市出身の県職員です。

2011年3月11日、佐藤さんは東京にいました。
当時、東京の大学の3年生。
飲食店でアルバイトをしていた佐藤さんを、
円を描くような大きな揺れが襲いました。

その日はとにかく「不安だった」。

余震が続き、テレビに映るアナウンサーも、ヘルメットを付けたまま。
夜になって、やっと福島市に住む家族と連絡がとれました。
「自分の知らないところで揺れているということが怖かった」。

この震災をきっかけに、「地元に帰りたい」という気持ちが強くなりました。

2015年3月11日は、福島県庁で迎えました。
午後2時46分。仕事の手を休め、職員全員で黙祷を捧げます。

「あの道はいつ通れるようになるの?」「家にはいつ帰れるの?」。

県民からの電話を受けるたび、
不甲斐なく思うと同時に、使命感に突き動かされるそうです。

 

「いまは、『フクシマ』と特別な場所のように言われています。
でも本来の『福島』は、果物のおいしい、自然も人もゆったりした場所。
『フクシマ』から『福島』へ、もう一度変えていきたいですね」。

佐藤さんは、言葉に力を込めました。

【「フクシマ」から「福島」へ。佐藤千紘さん(25)は願っています】

【「フクシマ」から「福島」へ。佐藤千紘さん(25)は願っています】

 

◆  ◆  ◆

次も同じくせんだいメディアテーク、
リコーの「Make A Wishデジタルサイネージ」ブースから。
「Make A Wish」は、みんなの願いを共有するユニークなITシステムです。
撮影機で写真を撮って、
付属のモニターから願いを託したメッセージを書き込みます。
写真とメッセージはモニターで共有。
メッセージが増えるたび、モニターに表示された苗木が
大きく育っていきます。

このブースで案内をしていた、リコー東北事業本部の
森田美由紀(もりた・みゆき)さんに話を聞きました。

 

2011年3月11日、森田さんは仕事中。
仙台市青葉区の路上を、同僚2人と車で移動していました。
信号待ちをしていた時、携帯電話から
緊急地震速報のブザー音が鳴り響きました。

「地震が来ることを覚悟した」と森田さん。
直後に激震に襲われました。
予想を超えた強い揺れに驚いたと言います。

窓から外を見ると、雪が降っていました。

 

【リコー社員の森田美由紀さん(30)。リコーは震災直後、流されてしまった写真の復元もしていました】

【リコー社員の森田美由紀さん(30)。リコーは震災直後、流されてしまった写真の復元もしていました】

 

2015年3月11日も、森田さんはお仕事。
「Make A Wish」の準備に奔走していました。
午後2時46分。社員全員が作業の手を止め、黙祷を捧げました。

黙祷が終わり、メディアテークの窓から外を眺めると、4年前と同じ雪。
「4年ってあっという間だな」。そう思ったといいます。

「これからは、みんなに、特に子どもたちに幸せになってほしい」。
森田さんは、今日もみんなの願いを集めます。

 

◆  ◆  ◆

次は、「Make A Wish」で写真にメッセージを書き込んでいたご夫婦です。
武田秀雄(たけだ・ひでお)さんと君恵(きみえ)さんは、仙台市青葉区在住。

2011年3月11日、二人は離ればなれでした。
秀雄さんは自宅で、君恵さんは外出先で、
それぞれ強い揺れに襲われました。

携帯を持っていない君恵さんは、
公衆電話から何度も秀雄さんに電話をかけたといいます。

しかし、つながらない。

雪の降る中、不安を抱きながら
秀雄さんが待つはずの自宅へと歩き続けました。

到着したのは4時間後。
お互いの顔を見たとき、「とても安心した」。
二人は口を揃えました。

2015年3月11日、二人は一緒にいました。
午後2時46分。自宅で黙祷を捧げました。

「あのときは大変だったな、と思い返していました」。
秀雄さんは振り返ります。

二人は、半世紀以上の時間を共に過ごしてきました。

「30年前の宮城県沖地震のときも一緒だったの」、と君恵さん。
二人は、撮影した写真に「夫婦の絆 しっかりと」と書きました。 

【武田秀雄さん(左)と君恵さん(右)。「絆の字が拙いな」と笑いあっていました】

【武田秀雄さん(左)と君恵さん(右)。「絆の字が拙いな」と笑いあっていました】

 

◆  ◆  ◆

最後に、仙台市青葉区のアーケードから。

只野陸人(ただの・りくと)さん、
大森優輝(おおもり・ゆうき)さん、
阿部佑哉(あべ・ゆうや)さんの三人は、中学3年生。
涌谷町の同じ中学に通っています。

春休みを利用して、市内に遊びに来ました。

2011年3月11日、三人は同じ小学校に通う5年生。
午後2時46分。教室で下校の準備をしていた時、
激しい揺れを感じ、机の下に潜りました。

「死んじゃうかな、と思った」。ぽつりと言ったのは、只野さん。
阿部さんも「怖かった」とうつむきます。
その後、迎えにきた保護者と一緒に、それぞれ自宅に帰りました。

「親の顔をみると少し安心した。でも、余震のたびに目が覚めて寝られなかった」。
只野さんの言葉に、二人もうなずきあいました。

 

2015年3月11日も、三人一緒に迎えました。
午後2時46分。サイレンが鳴り響く中、黙祷を捧げます。
三人がいたのは、石巻市内のショッピングモール。

大森さんは、目をつぶりながら考えていました。
「ここにも津波がきたのかな」。

「涌谷には津波が来なかったから、
津波の被害に遭った地域の人と、思っていることはちょっとちがうと思う。
でも、やっぱりこわかったな、と思い出していました」。
只野さんも思い返します。 

【左から、只野陸人さん(15)、大森優輝さん(15)、阿部佑哉さん(15)。3人は今日も一緒です】

【左から、只野陸人さん(15)、大森優輝さん(15)、阿部佑哉さん(15)。3人は今日も一緒です】

 

3月11日を、二度同じ場所で迎えた3人。
彼らは、4月からそれぞれ別の高校へ進みます。

◆  ◆  ◆

みなさんは、あの日あのとき、どこで何をしていましたか。

何を思っていましたか。

 

(記事担当)
東北大修士1年 尾崎希海(おざき・のぞみ)
早稲田大4年 田部愛(たなべ・あい)
宮城学院女子大3年 大熊望鈴(おおくま・みれい)

 

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