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【3日目・レポート】失われた街 模型で再現

English translation will be available shortly.

 

津波によって失われた街の姿を模型で復元し、
 住民たちの思い出を次代につなぐ活動がある。

「『失われた街』模型復興プロジェクト」だ。

震災前の街並みを忠実に再現した模型の展示が18日まで、
仙台市青葉区にある仙台市民会館1階ロビーで行われている。

 

展示模型は、東日本大震災の津波で失われた仙台市若林区荒浜地区の街並み。
1/500スケールで、太平洋岸に栄えた農漁村集落の在りし日が、3×3m四方に再現されている。

【復元された模型の貞山堀付近。ずらりと旗が並んでいる】

【復元された模型の貞山堀付近。ずらりと旗が並んでいる】

家、道、川、地区のシンボルの一つだった火の見やぐら…。

屋根の色まで、住民の聞き取りなどによってリアルに蘇らせた。

 特徴は、模型の上に所狭しと並んだ色とりどりの小旗にある。
赤色は、津波に襲われながらも人々が生き延びた箇所を示すから、名付けて「防災の旗」。
荒浜に暮らした人々の記憶を多く留める場所は、黄色の「思い出の旗」。
祭りなどの伝統行事や石碑などには、紫色の「伝統の旗」を掲げている。

黄色の「思い出の旗」には、
 「夏の夕方はよくここで釣りをしていた」
 「ここから堀に飛び込んだ」といった人々の生活のワンシーンを切り取ったコメントが記されていて、
 訪れた人が「あー、そうそう」「懐かしい」などと記憶を重ねる姿も見られる。

命の砦となった「防災の旗」には、
 「校舎の3階」「○○さんの家の2階」といったポイントが記され、
 生死を分けたドラマが呼び起される。
 

模型の周囲には見学者が次々と訪れる。

もう旗を加える余地がないほど記憶がひしめく情景は、
どれだけ多くの人がここで暮らし、郷土愛を育んだかを訴える。
 

津波でこれほどの集落が失われたことに、悲嘆に暮れる人。

模型を指差しながら、地区のかつての姿に思いを馳せる人。

模型とはいえ、住み慣れた地区を蘇らせてくれたことに感謝する人。

 多くの見学者が「荒浜」をいつくしんだ。

 

プロジェクトの学生リーダーを務める、
神戸大大学院修士1年の高山 幸司(たかやま・こうじ)さん(25)は、
模型の脇に立ち、案内や説明を担う。

【『失われた街』模型復興プロジェクト学生リーダーの高山さん】

【『失われた街』模型復興プロジェクト学生リーダーの高山さん】

 

「立体の模型を前にすると、記憶が目の前にまざまざと立ち上がってくる。

思い出を呼び覚ます効果があるんです」

模型を造るのは、単なる工作趣味ではない。
そこに生きた人々の物語を掘り起こしては残し、
災後の街づくりにつなげようという試みだ。
 

1つの模型を造るのに2か月間を要する。
趣旨に賛同した全国の大学生が集まり、航空写真をもとに街並みを再現する。
コンパネ板で土台をつくり、そこにプラスチック板や木片で家々を並べ、

白地図ならぬ「真っ白な荒浜模型」を作成。

 

そこまでできたら、住民参加のワークショップを開催。
住民らが学生の手を借りながら、記憶をたどって屋根などに色を塗り、、
街角にあったお地蔵様や公園のレイアウトまで、カラフルに蘇らせていく。

 

「『ここにはテラスがあった』とか、『玄関の向きはこっちだった』とか、
 模型を見ながら次々と我が家の細部を語り出す人が少なくないんです」と高山さん。
 孫子の世代の学生に、家の歴史や自分の歩みを語り聞かせ、
それが結果、被災地の「内」と「外」、震災の「前」と「後」を結ぶ仕掛けになる。
 

模型は荒浜地区に限らず、これまで49カ所で造ってきた。

岩手県大槌町や宮城県石巻市など、津波で大きく傷ついた街を、

一つ一つ丁寧に蘇らせてきた。

ワークショップには、1地区で1000人以上の住民が参加したこともある。

 

模型を媒介にして再結集した人の輪を、災後の街づくりに生かす試みも始まっている。
気仙沼市大沢地区では、住民らが街づくり復興案を自ら練り上げ、行政に提出した。

 

震災の発生から4年。
模型造りは現在も各地で進められている。

一つでも多くの街を蘇らせ、暮らしを共にした人たちをつなぎとめることが、
地域の明日につながると信じるからだ。

 

 

記憶を生かした街づくり─。

模型の街は、再起の歩みを後押しする。

 

(記事担当)

東北学院大3年 今 一馬

     ◆   ◆    ◆

模型展示:仙台市民会館1階ロビー 3月18日まで

参加団体:「失われた街」模型復元プロジェクト実行委員会

代表:神戸大学大学院工学研究科建築家専攻 槻橋研究室修士1年 高山 幸司